妻がアスペルガーかもしれない夫の海外生活日記。

妻との過去の出来事や日々の出来事を記していきます。

会話が続かない話

こんにちは。

何気ない会話の中で、自分の意見が認めてもらえないと思ってしまったとき、皆さんはどう感じるでしょうか。

 

妻と会話をしていると、基本的に議論というものが成立しません。妻が調べたり、新しく得た知識を話してくれたとき、それに対して考察すると根拠もなく否定され、もしくは論点がずれてしまいます。

 

妻「責任の分散という真理があるらしい」

妻「都心などの人が多く集まるところでは、何かが起きてもそれを見過ごすことが多く、逆に田舎などの人が少ないところでは、見過ごさずに手を貸すことが多い、と心理学の本に書いてあった」

妻「実際に実験もされているようだ」

私「誰かがやるだろう、という心理がはたらいた結果だろう。だれも責任を取りたくないのだろうから」

妻「責任を取りたくないわけではないのでは?」

 

…責任の分散の心理実験の話ではなかったのか?

 

私「心理的な傾向なら、日本人は事なかれ主義というが、集団になれば国は関係ないのだろう」

妻「国民性の問題では?実際はどうなのかわからいのではないか?」

 

…一般的な心理学の話ではなかったのか?

 

ここまで話をして、私は私自身の考えを述べることをやめました。妻は議論がしたいのではなく、得た知識を話したかっただけなのだと、今になって思います。

私の意見を求めているのではなく、妻自身が思いついたことをそのまま話しているだけであり、そこから会話が掘り下げられることはありません。

たとえ掘り下げたとしても、妻の中でできあがっているイメージに一致しない限り、私の意見が肯定されることはないでしょう。

 

日々のしがない会話の中で、何気なく話したつもりのことが常に否定され続けると、自分自身の話をしたくなくなるものです。

聞き役に徹するのが、現時点で私が出せる最適な答えかもしれません。

 

周りが見えなくなる話

こんにちは。

年の瀬を迎え、大掃除を始められた方も多いのではないでしょうか。

アメリカではクリスマス休暇に入り、長い祝日が始まります。その代わり三が日がないため、仕事は年始2日から始まります。

 

さて、最近はBluetoothなどの機器も多く、掃除をしながらも気軽に音楽を楽しめるようになりました。

妻もそのひとりでしたが、掃除中、私が近くにいるにも関わらず、大声で熱唱していました。

本人は気持ちよく歌っているのだろうと思い、それを止める勇気はありませんでしたが、私がどう感じているのか、察することが難しかったのだと思います。

私が同じことをしても、妻はきっと気にしないのでしょう。だから私も気にしない、と考えていたのかもしれません。

 

車を運転中に熱唱することは私もあります。しかしそれは、隣に誰も乗せていないときです。

妻も車で歌うことがあるようですが、他人に見られるのが恥ずかしい、とも話していました。

歌うことは何も悪いことではないのです。せめて自分の世界の中でなく、普通に音を出して歌ってほしいのです。

私自身、幼い頃から音楽に触れる機会が多く、大して役に立つわけでもない音感が残ってしまっているため、お世辞にも上手と言えない妻の独唱を、笑って流すことができませんでした。

 

直接これを伝えて、理解してくれるのならば苦労はしません。どんな伝え方をしても機嫌を損ね、へそを曲げるのが目に見えているので、伝える勇気がありませんでした。

なんでも笑って見過ごせるような寛容な心がほしいと、切に思います。

運動神経の話

こんにちは。

運動神経が悪いのは、アスペルガー症候群発達障害が影響している、とする記事を目にします。

必ずしも「運動神経が悪い=発達障害である」の方程式が成り立つとは思いませんが、極端に不得意な分野があると思っています。

 

私の趣味で車、バイクに乗ることが多く、妻も影響を受けてバイクの免許を取得しました。

もともと車もバイクも運転が得意な方ではなく、どちらにおいてもMT車両を運転することにとても苦労しています。

・微妙な操作が苦手

 「半クラッチ」や「ブリッピング(シフトチェンジに合わせてアクセルをふかすこと)」など、ONでもOFFでもない操作が苦手です。ONかOFFしかできず、感覚による微調整ができないため、操作がギクシャクしてしまいます。

・ながら操作が苦手

 バイクの場合、重心移動や複数の操作を同時に行いながら運転する必要があります。基本的にひとつずつしか操作ができないため、なめらかに複数の操作を連続して行うことができません。

・周囲の状況把握が苦手

 どのような操作をすればどのように車が動くのかが想像できず、恐怖感を感じやすくなります。それに加えて操作がギクシャクするため、車が思ったように動かず、余計に恐怖を覚える、という悪循環に陥ります。

・環境への適応が苦手

 複数の車両を運転する場合、操作感が違ったり、車両の特性が違ったりすると、違う感覚が理解できずにパニックになります。例えばブレーキの感覚が違うだけで、次に行うべき操作がわからなくなり、恐怖感につながってしまい、またパニックになるという悪循環に陥ります。

 

妻は身長が低いため、背の高いバイクに乗るには、どうしても苦労を強いられます。妻自身もそれをわかっていながら乗っていますが、「足がつかない」ことでパニックになり、適切な操作を行わなかったために、危うく大事故につながりかねないミスをしたことがありました。

妻はあまり気にしていない様子ですが、見ている私は気が気ではありません。そもそも、なぜそのような操作をしたのか、私には理解できないのです。

妻にとっては「仕方のないこと」なのかもしれませんが、二度と同じミスをしないよう、練習と経験を積んでもらうしかありません。

 

経験不足、練習不足の面は多くあると思います。ただ、毎回のように同じことを繰り返し、いつまでも同じ失敗や同じ恐怖感を感じて、次に進めない状況を見ると、経験不足だけでは説明ができないと考えています。

 

そもそもバイクに乗せるべきではなかったのかもしれません。この気づきをもとに、辛抱強く練習に付き合い、向き合っていくしかないと思っています。

体調の話

こんにちは。

インターネットで情報を集めていると、女性のアスペルガー症候群は体調不良が現れやすい、との記述を多く目にします。

 

妻もこの例外ではなく、体調不良を訴えることが多くあります。自律神経のコントロールがうまくできないと言われているようで、それを前提にすると腑に落ちることが多くあります。

・めまい

 回転性のめまいを訴えます。前後に体調に変化はなく、起床後に多く見られます。

・耳の閉塞感

 片耳が聞こえにくい、耳が詰まったような感じを訴えます。鼻が詰まったように話すため、会話をしていると違和感があります。腹圧をかけると改善するらしく、前かがみになったり、屈伸したりすると良くなることがあるようです。

・肩・首のこり

 頻繁に肩や首のこりを訴えます。定期的にこりを感じやすい時期があるようで、首や肩を動かす時期に規則性があるようにみえます。

・体の痛み

 寒さ、暑さによる体への負荷に耐えられず、各部の痛みを訴えることがあります。

・生理前後の不調

 体調面だけでなく、精神面での変化も激しく、PMSを疑っています。低用量ピルを服用することでかなり改善されましたが、それでも感情の浮き沈みや、体調不良に振り回される事が多くあります。

 

これらの不調があると不快感を態度で示すため、当てつけがましく感じられてしまい、私が気を遣えない人間なのかと考えてしまいます。

体調を尋ねると「大丈夫ではない」など不快感をあらわにする割に、自分のルールややり方に干渉されることを嫌うため、代わりになにかをしたり、手伝ったりしようとすると余計に機嫌を損ねます。

ただ黙って、なにも気にしていない風を装いながら、相手の機嫌を探るしかありません。思えば、これが非常にストレスになっています。

相手には悪気は微塵もなく、不快感を態度で示した次の瞬間には、笑って話を振られることもあるため、相手の空気に振り回されていると思わざるを得ません。

 

相手の表情に振り回されないような、寛大な気持ちになれるように、もっと自分の器が広がったらいいのにと思います。

妻との会話内容の話

こんにちは。

ふと、普段している妻との会話内容について考えてみました。

 

私は自分の身に起こったこと、考えていることを聞いてほしい人間であり、人に話すことで自分の考えを整理したり、新たな視点を得たりすることが多いと思っています。

このことから、普段の仕事や遊びであった出来事も、積極的に妻に話していました。ただ、妻は話を聞きながらスマートフォンで漫画を読み始めたり、突然違うことを始めたりすることが多かったと思います。そんなときは相槌もそぞろでした。

妻は分かってくれるだろう、というつもりで話すと何度も聞き返されてしまうため、自分の言いたいことを伝えるために、背景やそのときの状況などを事細かに説明する必要があります。そうなると、話の内容が説明口調で退屈になってしまい、自分でも何が言いたかったのかわからなくなってしまうことがあります。

ユーモアを交えて話をしたいのですがそれを理解してもらえず、会話自体がストレスになってしまうことも多くありました。

結果的に、ここ数日はあまり私自身のことを話すことがなくなり、妻も特に私に聞かないため、会話は少なくなっているように感じています。

もちろん妻は、聞かれなければ話しません。聞かれない=話す必要がないと考えるのでしょう。自身の興味があることを除いてですが。

私に嫌われないように振舞っていたときは、それゆえに必死に私のことばを理解しようとしてくれていたのだと思います。

その気遣いが必要なくなり、理解する努力をやめたとき、努力義務は話し手に移り、話し手は今まで以上に理解してもらうための努力をしなければなりません。

いちばん理解してほしい人に理解してもらえない、理解してもらうために努力しなければならない現実は、どうしてもつらく感じてしまいます。

 

いちばん身近にいるひとの興味をひくために、なぜ努力をしなければならないのか。そもそも他人に興味がなく、嫌われたくない一心で私を理解しようとしていたのならば、それは私の家族観、夫婦観と大きく乖離しています。

 

考え方の違いや振る舞いの違いを理解することはできます。しかし、理解することと、生活の中でそれを受け入れることは違います。

妻の強すぎる個性を受け入れ、心地よい生活のリズムを作るには、私にはまだ時間が足りません。

カサンドラ症候群の話

こんにちは。

ここ数日、自分の将来と妻のことについてとりとめもなく考えを巡らせています。

自分自身にとって、今まで生きてきた中で最大の出来事と言っても過言ではなく、前向きに捉えるならば、自分がどうしたいのかを考える、とてもいい機会になっています。

 

数日をひとりで過ごした結果、現時点では妻といることに苦痛を感じている自分がいます。まだ私の中に、「相手に合わせなければいけない」という考えが残留しています。

昔から偏頭痛持ちではありましたが、思えば渡米してからというもの、ほぼ毎週のように頭痛を発症していました。

それがひとりで過ごした約1週間、天気が安定していたこともありますが一度も発症せず、妻が帰宅した翌日から連日のように頭痛が再発しています。

あまり考えたくはありませんが、妻のことを気にするあまり、それがストレスになってしまっていたと認めざるを得ません。

妻にとっては、自分のルールに相手を巻き込んでいる、自分に合わせてもらっているなどという気は全くないのだと思います。自分にとってはそれが当然のルールなのですから。

悪気があれば喧嘩もできますが、そうでない以上はたしなめることも、怒ることもできません。それが故に、何も言えずにただ耐えればいいと思ってしまいます。

結果として自身の不調を招き、いわゆる「カサンドラ症候群」に陥っているのではないかと推測するのは容易なことです。

 

今までは、妻は私に依存することで「嫌われたくない」と思うあまり、多くのことを我慢していたのだと思います。それがなくなってから遠慮することもなくなり、自分のペースで生活を始めると、相手のことを考えるよりも自分のやりたいようにやることを優先し、私の居場所がどんどんなくなっていくような錯覚に陥ります。

 

私自身にとって、夫婦生活以外にも大きく環境が変わりそうな局面を迎えており、結果として海外、日本にかかわらず、物理的な距離をおくことになりそうです。

家を建てておきながら、家の中が妻のルールに従って再構築されているような気がして、自分の家への愛着が途端に薄れてきてしまっています。

帰ってくる家があるのはありがたいことですが、そこが果たして癒しの空間となり得るかどうか、さらに私自身の考え方を整理しなければならないかもしれません。

こだわりが強い話

こんにちは。

誰しも、好きなことや自分なりのこだわりがあると思います。ただ、じぶんのこだわりが薄いことが日常の絶対的なルールとして存在してしまうと、どうしても苦痛に感じてしまいます。

 

日本に一時帰国してから、浴室のルールが厳格化していました。

・シャンプー、リンス、石鹸類を浴室においておかない。

 …浴室乾燥をするため高温に晒したくない、という理由のようです。

・浴室を使ったあと、60℃のお湯で浴室内を流す。

 …カビやぬめりの発生を抑制したいようですが、毎日やる必要があるかどうか。

・浴槽を入浴後に洗う。

 …冬場の日中に、寒い中浴室を洗いたくないそうです。そんなに寒いか?

 

私自身はまったく気にしない事柄であるため、相手のこだわりに付き合わなければならないことに、少なからずストレスを感じています。

これを守らないと不機嫌になったり、たしなめられたりするため、それを気にしてやらざるを得ません。

相手の機嫌を気にして生活していることに疑問を感じざるを得ず、妻が実家から帰宅した翌日から偏頭痛を再発しました。

考えなければならないことが、まだまだ多くありそうです。